2022年1月2日、夜。
採卵時間に合わせて指定された22時に、初めてオビドレルを打った。
直後、ぶわぁっと体から汗出る感じで、全身かゆくなってきた。
これはアレルギー反応なのか。
自室で注射をしたが、不安になり、母の部屋へ向かった。
22時という遅い時間だが、母は私を心配して、しばらく一緒の時間を過ごしてくれた。
50分経ち、結局、皮膚が赤くなった程度で、何ともなかった。
(※実際に赤くなったおなかの写真を載せようかどうか、迷っております…。)
実家にいたからよかったが、独り身で何かあった時の怖さを体感してしまった…。
こんな気持ちになるのに、この先、本当に一人で子育てができるのか、と不安になった。
今までとは違う、実家と東京を行き来する年末年始。
不思議な感覚のまま、初めての採卵日、1月4日になった。
ここのクリニックでは、最後の診察の時点で、採卵順が先着順で決まる。
1番目になってしまうと、前泊しないと間に合わないため、なるべく遅い時間の採卵時間を願った。
何番目だったが忘れてしまったが、始発でいけば間に合う時間だった。
クリニックに着き、待合室に案内された。
一部屋にベッドが5~6床あり、カーテンで仕切られていた。
ショーツをぬいで手術着を着て、帽子とマスクをし、トイレに行って、待つように指示された。
その後、点滴をされ、ドキドキしながら自分の順番を待った。
痛いのかな。麻酔で喘息出るかな。
いくつ採卵できるのかな。
凍結できる卵子はいくつかな。
融解に耐えうる卵子はいるのかな。
小さなことから、先のことまで、色々なことを考えた。
前の人が部屋に戻ってきた。次は私かな、と思っていると、すぐに名前を呼ばれた。
看護師さんに連れられ、歩いて手術室へ向かった。
ドアが開いた先は、思っていたより狭い手術室。
名前、生年月日の確認をされ、ベッドに横になった。
コロナ禍のせいか、ベッドに寝てから、マスクを自分で取り、手術着についていたポケットに入れるように指示された。
麻酔を入れられたが、ドキドキしすぎた私は、目をしっかり開けていた。
なかなか寝ないので、先生に、「目を閉じて、深呼吸して」と言われた。
目を閉じると、少しずつ眠くなる感覚になった。遠くで声が聞こえる。
視界は、カラフルな世界に入った。カラフルなトンネルの中をぐるぐるとジェットコースターに乗っているような感覚だった。
いつの間にか、終わり、目が覚めると、先程のベッドに戻っていた。
クリニックに着いてから、1時間半くらい経っただろうか。
培養士さんが採卵結果を伝えに来た。周りに他の患者さんもいるからか、小声で話し始めた。
「推定ですが、1個です。成熟していれば、このまま凍結します。未成熟の場合、どうしますか。体外成熟培養(IVM)もできますが、プラス10万円です。」
淡々と現実が伝えられた。
1個。
たった1個。
それが成熟しているかもわからない。
何十万というお金。1ヶ月という時間。その結果が、1個。
未成熟の場合、結果は0ということになってしまう。
私は、追加で10万を払う選択肢しか選べなかった。
社会的卵子凍結。
初めての採卵、1回の採卵で、結果は1個。
ショックしかなかった。涙がとまらなかった。
採卵前に3つ見えていたから、3つを期待していた。
麻酔でふわふわしていた頭も、あっという間に冷めた。
とにかくここから出たかった。
帰る準備をしていると、隣のベッドから、すごいイビキが聞こえてきた。
おかげで涙がひっこんだ。
0個じゃなく、1個でも採れた、と前向きに考えようと思った。
低AMH、嘘じゃなかった、本当だった。
排卵誘発剤を使っても1ヶ月に1個なら、先が思いやられるな。
と自分の身体と気持ちに向き合いながら、帰路についた。
当時の記録を見返しながら、今ブログを書いているが、
こんな結果でも、当時の私は不思議なくらい前を向いている。
翌日、クリニックから電話があった。
結果は、推定値どおり、1個。
成熟はしていたので、凍結をした、とのことだった。
分かってはいたが、1個。
1周期、約30万。10個採れていたら、1個あたり3万。
私の卵子は、1個30万。
と、卵子の単価計算をするようになっていた。
当時、教育関係の職に就いていた私。
次の長期休暇は春休み。このタイミングでなら通院ができると思い、2回目の採卵計画を立て始めた。
