結婚願望は、学生時代からあまりなかった。それでも、恋愛は普通にしていた。
親元を離れたのは、高校生のとき。
地元が好きだと思えず、高校の寮に入ったり、交換留学へ行ったり、大学も東京を選び、そのまま東京で仕事をした。
28歳のとき、サイパンの呪いにかかり、帰国後入院することになってしまった。
その時から保護猫と暮らしていたため、にゃんこと私は、旅行のスーツケースを持ったまま、地元の病院に入院することとなった。
検査入院で2週間、原因不明と言われ、ダイビングをしていたせいだろう、ということで、減圧症の治療ができる別の総合病院へ転院させられた。長引く入院生活に嫌気がさし、毎日母の送迎の元、通院での治療に切り替えてもらった。
それでもなかなか体調がよくならず、東京のアパートの家賃だけを払う日々も、更新日が来て、断念。
引っ越し業者の全部おまかせパックを使って、ゴミだろうが、なんだろうが、すべてまとめて実家に押し込まれた。
約10年ぶりに暮らす実家の居心地は悪かった。
実家でも保護猫を飼っていて、我がにゃんこを含め、総勢9匹。
一人で外にも出れない体調、車がないと生活できない田舎、家の猫たちだけが癒しだった。
アラサーで実家に戻り、無職。夢を諦め、何もなくなった、と落ち込む日々。
そんな中、母親にいくつもの結婚相談所に連れていかれた。知り合いから縁談があるから会いなさい、と言われた。
おそらく100人以上の男性とお見合いをしたと思う。苦痛でしかなかった。
34歳のとき、婚活をする気も、断る気力もなくなって、NOと言わずにいたら、親への顔合わせ、結婚式の打ち合わせまで進んでいた。
食事が喉を通らず、いつでもどこでも誰に対しても涙が出る日々となった。
20代から抱えていた卵巣嚢腫が大きくなり、彼から逃げたい気持ちが強く、入院して開腹手術をすることを選んだ。
誰でもいいから、助けてほしい。
結婚はこんな苦しんでするものではないのに、分からなかった。頭も心も身体も、何もかもがもう限界になっていた。
結婚相談所の人に、破談にすべきだ、と言われ、今までかかった費用、婚約指輪、結婚指輪、結婚式の衣装を支払い、破談にした。
そして、1年後、社会的卵子凍結に踏み切ることとなる。
